いつも記事をお読みいただき
誠にありがとうございます。
管理人のLSEです。
2019年11月30日(土) 21時54分から
テレビ朝日で放送の
『激レアさんを連れてきた。』に
元競輪選手の高松美代子さんがご出演。
高松美代子さんは
50歳を過ぎてから競輪選手になったという
とても珍しい方です。
この記事では
そんな高松美代子さんの
競輪学校時代や経歴、夫や子供や現在
についてもリサーチしています。
1.高松美代子さん(元競輪選手)の 競輪学校時代や経歴は?
50歳からプロの競輪選手となった
高松美代子さん。
これは、男性選手でも滅多にいない
珍しいケースだといいます。
ではなぜ、いわゆる「遅咲き」で
プロの競輪選手として
デビューされたのでしょうか?
高松美代子さんは
中学、高校と水泳に打ち込んでいたそうで、
とても活発な女の子だったようです。
ちなみに、その時の将来の夢は
CA(キャビンアテンダント)さん
になること。
高校卒業後は
短大へと進学しCAになるべく
採用試験を受けられたそうですが
残念ながら落ちてしまいます。
その代わりに、教員免許を取得されています。
後に結婚をし2児の母となります。
また、持っていた教員免許を活かして
小学校の臨時教員として働き始めます。
★競輪のきっかけは趣味で始めた自転車!
2人の娘さんの子育ても一段落した
37歳の時に、
旦那さんと共に趣味で自転車に乗り始めます。
また、マラソンやトライアスロン競技も開始。
マラソンやトライアスロンは
競技人口も多いので
入賞がかなり難しい競技だそうですが、
自転車は競技人口が少ないので
そこそこ頑張れば入賞まで手が届く世界だと
高松美代子さんは言います。
そのおかげで、何度も自転車競技で
入賞を果たすたびに、
どんどんとのめり込んでいったそうですよ。
◎訪れた転機
自転車競技で、
それなりの成績を残せるようになっていた頃、
女性だけの競輪・ガールズケイリンが
復活することを知ります。
元々、ケイリンは男性だけなく
女性だけのケイリンもあったそうです、
しかし、
女性選手の少なさや人気の低迷から、
一旦は廃止になっていたそうですが、
2012年(平成24年)7月から復活しました。
そのことを知った高松美代子さんは
趣味の自転車を、
ただの「趣味」で終わらせるか?
それとも、
プロとして第二の人生をスタートさせるか?
悩んだ挙句、家族の後押しもあったことから、
プロとしての人生を歩むべく
日本競輪学校への入学されます。
この時すでに49歳を過ぎていました。
▼競輪学校での苦悩と立ち塞がる数々の壁…
競輪学校の入学条件に年齢制限はないので
当時49歳だった高松美代子さんも
入ることができたそうなのですが
意外にも、競輪選手の多くは
自転車とはあまり関係のない世界から
転向されてくる方が多いのだそうです。
スキーやスケート、ゴルフやビーチバレー、
また、ある人はモデル出身など
全くの畑違いの業界から
入学されてくるといいます。
ただ、競輪選手の年齢層は
約6割が20代、約3割が30代、
その他40代半ばの選手が
若干いる程度だそうなので
50歳で競輪選手になった
高松美代子さんは、やはり
かなり珍しいケースなようですね。
なので当然、
若い選手とのギャップを感じたといいます。
絶対的な体力の差があることもあってか、
次々と記録を樹立していく、
同期の若い選手たちをみていて
悔しいどころか、
高松美代子さんは自分の記録を
維持するのがやっとだったといいます。
しかし、自分の強みは何か?
をじっくりと考えた結果、
若い選手よりもはるかに
「早起き」ができることに気づき、
毎日朝の3時、4時に起きて、
競輪に関する勉強をした後
縄跳びや柔軟をし、
その回数や強度を強めていき、
自分にどんどんと自信をつけていったそうです。
そうして地道で苦しい
1年間の競輪学校生活を終えたのち、
50歳でプロの競輪選手として
デビューを果たされます。
デビュー戦は2012年7月の
平塚競輪場のナイター戦。
自分と一回り以上も年の離れた選手たちと
対決。結果は6位。
デビュー戦は、惜しくも華々しい船出
とは言えなかったものの、
持ち前の根性で
同年12 月に高松競輪場で初勝利!
しかし、2016年(平成28年)7月に
レース中の落車で頚椎を骨折。
長引くケガによって欠場が続きました。
2017年(平成29年)2月、
最愛の旦那さんが他界し。
精神的なショックを引きずったままの
現役続行を心配した娘さんたちの
言葉などもあり、
2017年(平成29年)4月13日に
4年9か月に及ぶ
競輪人生の幕を閉じられました。
名前:高松 美代子
(たかまつ みよこ)
ニックネーム:ドラミちゃん
出身地:大阪府
生年月日:1962年5月9日
年齢57歳:2019年11月現在
身長:162cm
血液型:A型
好きな食べ物:果物、うなぎ
モットー:継続は力なり
<通算成績>
出走数:323
優勝数:0回
1着数:3回
2着数:11回
3着数:32回
着外(4着以下):272回
2.高松美代子さん(元競輪選手)の 夫や子供は?
前記の通り、
2017年(平成29年)2月に
最愛の旦那さんが他界されています。
高松美代子さん
の過去のブログには
「出先で倒れ、そのまま帰ぬ人となってしまった」
とありました。
亡くなった高松美代子さんの夫は
自転車が大好きだった方だそうで
高松美代子さんを趣味の自転車の世界に、
そして競輪の世界へと
導いてくれた恩人だったそうです。
そして、二人の娘さんたちは
高松美代子さん
が競輪の世界へ入られた時に、
すでに20歳を超えていたといいますので、
2019年11月時点で
30歳近くのご年齢になられているのかも
しれません。
ちなみに、お二人の娘さんたちの
お名前や画像などは、一般の方のためか
一切の情報を得ることはできませんでした。
3.高松美代子さん(元競輪選手)の 現在は?
前述の通り、高松美代子さんは
2017年4月に現役を引退されています。
では現在は一体何をされているのかというと
日本競輪選手会の指導訓練課に所属し
ガールズケイリンの
サポートスタッフとして
後輩選手の育成やサポートを
されているそうです。
2日目も無事終了!
予報通りの雨だったので、午後の技能訓練はローラーとなりました。
アップの後、ケイデンス170~180を目指して1分もがきを3本 インターバル7分で。
外は寒かったですが、ローラー場は熱気でムンムンでした。
みなさんお疲れ様でした。 pic.twitter.com/VIXtlM5Ayd
— 高松美代子 (@345miyoko_) October 29, 2019
競輪学校では男女関係なく
指導をされているのでしょうかね。
そして、現在も趣味の自転車で
あちこちを散策されているようですね。
元プロ競輪選手の足なら
山も軽々と登ってしまうのでしょうか…
いかがだったでしょうか?
趣味の自転車が高じて
50歳という年齢にして
プロ競輪選手としてご活躍された
高松美代子さん。
つくづく、人は年齢性別に関係なく
自分がなりたい姿を
強く意識して行動を起こすことで
実現させることはできるのだな、
ということを教えて頂きました!
コメント